明智光秀が築城「坂本城」
坂本城は、琵琶湖に面した水城として、戦国時代に比叡山の焼き討ちを行った織田信長の命により、比叡山と湖南・湖西地方をおさえる為、明智光秀(1528-82)が築城した城です。
安土城より先に築城された日本で最初の石垣と瓦葺きの天主を持つ城で、大天守と小天守があったと言われています。
明智光秀は天正10年(1582年)の「本能寺の変」で織田信長を討ちましたが、直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に「山崎の戦い」で敗れて自刃しました。
一説では、落ちていく途中、小栗栖において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされています。これは明智光秀が織田信長を討って天下人になってからわずか13日後のことだったので、その短い治世は「三日天下」と言われています。
明智光秀公像
「山崎の戦い」で敗れた後、重臣の明智秀満が妻子を刺し殺して城に火を放ち、討ち死にした史実は、戦国の悲話としてもよく語られています。 その後、丹羽長秀によって坂本城は再建されましたが、秀吉が浅野長政に命じて大津城を築城した天正14年(1586年)頃に廃城になりました。 資材は流用されたため、都市化にも伴い遺構は殆ど残っていません。
現在は、大津市内東部の下阪本、東南寺から旧道へ出る小川に沿う道筋に、坂本城跡の碑がひっそり立っているだけです。
また、近くに今回ご紹介する坂本城址公園があります。
坂本城址公園
坂本城址公園には、戦国乱世の世に当坂本城主であった武将「明智光秀公」の思いをイメージして地元の作詞家が歌にした曲が聞けます。
有名な演歌歌手の鳥羽一郎さんが歌っています。
歌碑「光秀の意地」
「光秀の意地」
作詞:祝部禧丸(はぶりべよしまる)
作曲:平川竜城
唄 :鳥羽一郎
こぼれ話
歌碑の左下に小さな字で「本能寺で悪魔退治をした光秀公」と書かれています。
観光協会が掲載したとは思えないのでいたずらで誰かが記載したのかもしれません。明智光秀は、地元坂本ではとても愛されています。
坂本城址公園の情報及びアクセス
所在地 | 〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目1 |
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問合せ先 | 坂本観光案内所 TEL:077-578-6565 |
交通アクセス |
【電車・バスの場合】 【車の場合】 |
WEB | http://www.otsu.or.jp/sengoku/sakamoto.html |