湖族の郷資料館 ー滋賀県大津市-
湖族の郷資料館(こぞくのさとしりょうかん)
歴史上特筆される堅田の歴史、文化を築いた堅田衆をはじめとする堅田ゆかりの先人の足跡をたどる資料等が展示されています。
展示されている資料のテーマは、「文学と堅田」「堅田の変遷」「豪族の民具」「芭蕉と堅田の門人たち」「志賀廼家淡海」です。
湖族の郷マスコットキャラクター こぞくのすけ
堅田出身の明治、大正、昭和の三代にわたって笑いを創造し全国津々浦々に広げた
大芸人「志賀廼家淡海(しがのやたんかい)」
漁具、農具をはじめ、昔の家具、器具、骨董品
芭蕉の足跡「芭蕉と堅田の門人たち」
「湖族」とは
琵琶湖の北湖と南湖の間のくびれ、湖の最狭部に位置し、東西の岸を結ぶ琵琶湖大橋の西詰めに位置する大津市堅田。
堅田のパンフレットには「湖族の郷」とある。
瀬戸内海では、水軍・海賊といい、琵琶湖ではそれを「湖賊」と呼ぶ。後世の我々から見ると、彼らは不法行為をやる犯罪集団のように思えるがそれはかなりの誤解である。彼らの暮らしの糧は、水先案内人、運送、漁業権、造船などであった。たとえば水先案内では、米100俵につき1俵を取り、断ると襲った。しかし、この行為を現在の社会ルールで判断することはできないだろう。それにしても「湖賊」では肩身が狭いからだろうか「湖族」と書かれることが多い。中世には、その恵まれた地形を利用して琵琶湖の水運・漁業の権益を一手に掌握し、湖上に圧倒的な力を誇った。当時、彼らは「堅田衆」と呼ばれ、自らの手で郷づくりを行い、「堅田千軒」と言われる近江最大の自治都市を築いた。貿易で栄えた堺(大阪府)の町のように、政治権力から離れた自治都市を運営していたのである。
近世になり、水運の勢いはしだいに大津へと移っていったが、漁業は隆盛をきわめ、江戸時代には「諸浦の親郷」と呼ばれるようになった。また、豊かで美しい風光に恵まれた郷には、芭蕉をはじめ多くの文人たちが訪れ、文化の華を咲かせた。気ままにテクテク休日散歩さんのホームページより引用
湖族の郷資料館のアクセス情報
住所:〒520-0242 滋賀県大津市本堅田1-21-27
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